将棋がなああ

お久しぶりです!

悪いことは老眼のせいにして見えないようにしてるbakebakebarの店主です!

ひゃっほおおお!!


あ!

本題に入りますね…

今回は将棋のはなしっす

おもしろいことは続くので、なんとなく将棋が続いているんですけど、ほぼ成長はしてないんですけど、結果をみるとちょっとずつ良くなってきてはいるから、まぁ僅かに強くなってきてはいるのかもしれないけど、2級の壁が厚い…笑

将棋をやっていて思うのが、見ているものが違うということを強く感じること。

見ているものとは、手数が違うと見える筋が違うということなんですけど、目の前の1手を見ると正しいように思う手が、3手先までみると間違いだったりする。

同じように、3手先だと正しいように見えても、5手先まで見ると正しくなかったりもする。あと同じことがずっと続く…

話題の藤井聡太七段などは、プロが見ていて10手先くらいになったときに「そうか!」とプロが気付く手を指したりする…もうこのへんになると天才すぎてまったくわからない。てか、普通のプロの手もほぼ当たらない…笑

そして、手筋には文脈がある。

文脈とは、5手目にそうしたいから、1手目はこう。といった具合のことで、一つ一つの手に意味があるということなんですけど、これて、なんにでも当てはまることで、1手目を見ている人と3手目を見ている人ではそもそも考え方も違うし話も通じなくなるということなんですね。

これけっこう厄介なんです。

1手目だけだと確かに正しく見えるものだから、正しいと思い込むし、反省もしない。そうなると当然そのことにおいて考えることもしなくなる。3手目のひとが1手目のひとを見るとこいつあほやな…となるけど、1手目のひとも3手目のひとを見るとこいつあほやな…となる。

さてさて、どっちが幸せかはわかりませんが、3手目と1手目が一緒にいると間違いなく楽しくはなくなる…笑

将棋の場合、結果として現れるから1手目は自分が弱いんだと気付くけど、実生活だとどうでしょうか。大きな目で見ると、国と国との関係も似たようなことがあったりしないでしょうか。

さてと、飽きてきたのでここまでにします…笑

それでは

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