続・将棋がなああ

子供のころ、こっくりさんで「うおおおおおおおおおおおお勝手に指が動いてるうううう」とか言ったけど、自分で動かしてましたすいません。

あ! bakebakebarの店主です。

続とはいうものの、出だしだけで終わりにしてもいいかなて今は思い始めてて、でもそれだとtwitterでいいだろ!ブログの意味ないだろ!て思い直してて真面目に書こうと思ってるbakebakebarの店主です。

あ!

紹介まで続になってました…

前回は手数のはなしをしたんですけど、今回は選択肢のはなしをしたいと思います。

選択肢とは飛車を動かすのか、角を動かすのかといった感じで、そもそもどの手を選ぶかということです。考え方のスタート地点の違いのはなしです。とうぜん飛車を動かした場合と、角を動かした場合では、その先の展開が変わってきます。将棋にとって重要な選択を迫られてる場面です。

ここは飛車を動かしたほうがいいだろーとか、いやいや角を動かす1手でしょとか、いやまてよ、金を動かしてもよくね?といったようにいろいろな選択があります。例えば、選択肢を3つとします。その先を3手先まで読んだとします。1手進むごとに3つの選択肢があると仮定しただけでも27通りの手があるということです。これだけで途方もないことは想像できます。天才羽生さんにして将棋はよくわからないと言わしめる所以はここにあります。そりゃそうです分かるわけありません。

そこで大事になってくるのが大局観といったものです。

大局観とは、なんとなく分からないけどこの手を指しておいたほうがいいなとか、ここは攻めずに守ったほうが良さそうだなとかいったように分からないなりに感じるものです。

この大局観は途方もない経験を積まないと身に付きません。

なので素人や若人が感じるようなものはたいがい違うし当たっていません。

人生も年を重ねていくとこの大局観らしきものが身に付き、自然に自分自身にブレーキをかけてしまいます。これが年を取ると新しいことにチャレンジしない理由です。

新しいことにチャレンジしないと脳が活性化されないため、脳の老化も進み(かなり乱暴に簡略してます。興味のある方は脳の本でもよんでください)頭の固い大人となっていきます。ひどいとこまでいくとボケます。逆にブレーキを踏むタイミングをしらない若人が大きな失敗をするのもこういったことです。しかし、ブレーキを踏まなかったお陰でたまたまうまいこと目的地に早くたどり着くことがあります。これが若人の成功です。

そこで難しい問題がでてきます。

ブレーキを踏むとボケる。ブレーキを踏まないと事故るです。

そこでヒントになるのが羽生さんのことばです。それは「あえてブレーキを踏まないようにする」です。

大局観の身に付いた大人がブレーキを踏まないというのは崖に向かっているのが分かっていてブレーキを踏まないということではありません。あきらかに死ぬとこに突っ込むのはただのあほです。そうではなく、この先、なんとなくわからないけど行ってみるか…といったようなことです。わからないから行かないとは大きく違います。

その先には、今までの経験が通用しないこともありますし、今までの経験が役に立つこともあります。しかし、行ってみてわかることは、結局何もなかった場合でも、何もなかったと知ることができることです。逆に、行ってみたら自分が今までに体験したことのないような素晴らしいことに出会うかもしれません。ブレーキを踏まないだけで、これほどの体験ができてしまうのです。

新しい経験をするということは、いままでの自分を捨てることではありません。それを大事にしつつ、2割くらいは冒険をするということだと思います。

さて、飽きてきたのでここまでにしよ…笑

これを踏まえて映画「最高の人生の見つけ方」でも観に行ってこようかなー

コメント

人気の投稿